今回で12回目の開催となった都市に住みながら村に通う若者による新感覚イベント
「まち、ときどきむら」
通称「まち、むら」では通える村のある暮らしの普及を目指しています。
また「まち、むら」は地域で活動している人・コミュニティの出会いの場でもあります。
今回のテーマは「日本の村に通うコミュニティの出会い」と言うことで、参加者が自分の体験を語り合い、お互いのことを知りながら「村のある、暮らし」の魅力を改めて感じられるようなイベントにしたいと考えていました。
村通いはもちろん受け入れてくれる村があってこそできることなのですが、続けていくには通う側もそれなりにパワーが必要なのも事実です。
交通費もかかるし、休日の時間を使うことにもなります。
それでも村通いを期間限定の活動にするのではなく、無理せず自然と続けていくために大切なことは何なのか。
その答えを探るべくこのイベントでは二つの問いを用意しました。
・活動に参加したからこそ、今の自分にあるモノは何ですか。
・その自分の変化に影響を与えた人は誰ですか。
当日はたくさんのエピソードを聞くことができましたが、ここでは印象に残ったある女子大生の話をふたつ紹介します。
「しっかりせえ。」
彼女は村のおばあちゃんに叱られた話をしていました。大学の研究会の合宿の段取りで早めに村に入って連日村の人にお世話になりご挨拶をする日々。
その日はおばあちゃん家にお世話になるはずだったのに自分の知らないうちにまさかのダブルブッキングになっていたことが発覚…
おばあちゃんに電話すると沈黙の後に一言だけ「しっかりせえ。」と言われたそうです。知らない土地で知らない人から怒られる経験をした彼女は気を引き締めて40人での二泊三日の合宿をやり遂げました。そしてちょっと理不尽な経験をしたことで彼女は深く悩み過ぎないと言うことの大切さも知ることになりました。そこには甘やかさずに怒ってくれたおばあちゃんの存在があったのだと思います。
「ピザトーストつくったからー」
その女子大が初対面の方々に毎日お世話になっていた日々の中で、お泊りさせてもらったあるお家でのお話です。
村の人たちに感謝しながらも知らない土地にひとりで来て少しだけ疲れてしまっていました。
そんな中でお世話になったお家のお母さんが「毎日和食だったから、たまにはこんなんも食べたいでしょ。」と朝食にピザトーストを出してくれました。「私はもう少し寝るから午前中は好きにしておきなさい。」とさりげなーく気遣ってもらったりもして彼女は気づくと泣いてしまっていたそうです。
村に住む人達と関わり一緒に何かをしていれば怒られることも感動を分かち合えることだってあります。その優しさやおもてなし、懐の深さにこれまで感じたことがないくらい感謝したくなることもあります。
「村の魅力は人。」と言う話はよく耳にします。
ただ、人の魅力は説明しただけでは伝わりようがないことなのかもしれません。村通いを続けてみた結果、魅力あるその人と一緒に過ごせる時間こそが本当の魅力なのではないかと考えています。
【村通いを続ける極意】
村の人から村通いが評価される部分は最終的にはひとつしかないのではないかと思います。それは「継続している」と言う事実です。
受け入れてくれる人に感謝することはもちろんですが、自分の中に動機がなければパワーもかかるので正直なところ村通いは続きません。
村通いを続ける上で重要なのは観光なのか、ボランティアなのか、研究なのか、もしくはビジネスなのかと言う目的と手段の話ではなくて、むしろ「なぜ通うのか?通い続けるモチベーションはどこからくるのか?」と言う個人の動機の部分なのです。
【大人の遊び】
「遊び」と言う言葉を使うとちょっと不謹慎だと言われてしまうかもしれませんが、難しいことを考えたり義務感でやってしまったら何もできないし、何より続きません。
楽しもうと言う娯楽の要素とちょっと何かをしてみようのバランスが一番大切です。
無理はしないでまず行動を起こしてみると、そこに人との関わりが生まれます。その経験の中に自分の感情が動く瞬間を見つけるきっかけがあります。そしてそれがまた次の行動に繋がっていくのだと思います。
【村のある、暮らし】
年に一度は行くならそれは立派な第二の故郷です。
「通う」と言うとどこか大変な気がしてしまいますが、実家ですら盆と正月、年に二回くらいしか帰らないのが普通だと思うので、別に毎月通わなくてもそれは暮らしの一部だと言えると思います。
イベントの懇親会で「なぜ、村通いをわざわざ暮らしの一部にまでしたいの?」と質問されました。
通ってるからこそ続けるのが大変なことを知っている人からの質問でした。
本当に継続させるにはひとりだと明らかに無理なこともあり、通える仲間は多い方が楽しいと思っています。
ただ仲間集めは目的にはなりません。なぜ、仲間を集めたいかと言うと「会いたい人がそこに住んでいてふと帰りたくなった時に帰れる場所がある暮らし」は幸せだと確信しているからです。その感覚をより多くの人と共有できたらもっと面白いことができると考えています。
第12回目となった今回は合計26名の日本各地で活躍している方たちが参加されました。
そして利賀ゼミの様に、日本の村に通うコミュニティのメンバーが出会う場となりました。
「まち、ときどきむら」はこれからも否定期開催される予定なので、興味がある方はぜひ参加してみてください。
【今回紹介された村と活動】
■もざいくプロジェクト
Facebook⇒ https://www.facebook.com/mosaicproject?ref=bookmarks
もざいくプロジェクトは都会に暮らす若者が3ヶ月間にわたって地域に通い、そこに生きる方々との交流を通して感じたことで舞台作品をつくり、発表する取り組みです。
「地域交流⇒創作活動⇒舞台発表」という過程を経ることで、若者自身が生き方を見つめ直し、個性豊かにたくましく生きていくきっかけを提供しています。
今年は8月中旬から、長野県の阿智村と大鹿村をパートナー地域として、それぞれ中京圏、首都圏の若者が今まさに「村通い」の3ヶ月をスタートさせています。
(舞台発表の本番は阿智村、大鹿村で11月9日(日))
■地域に会いに行くツアー
「地域に会いに行く」をコンセプトに毎月長野県の原村に都市に住む若者が通っています。
原村にはIターンによる移住者も多く、地域でのイベントや農業体験などを通じて村の人と交流しています。拠点としているペンションで楽しい週末を過ごしています。
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大鹿村民 (火曜日, 14 10月 2014 11:55)
しっかりせえ、と叱ったおばあさん。
計画不十分な彼女にもそう思ったと思いますが、「もう子供じゃないんだから歓迎する準備をしている相手の気持ちも考えようよ」という意味の「しっかりせえ」だと思いますよ。
例えば、親戚が集まるお盆や、お正月、迎える側の家はどれだけ大変か解りますか?何日もかけて色んな準備をするんです。人が家に来る、ということは本当に面倒で大変なことなんです。
おばあさんは叱ったわけじゃなく、呆れたんだと思いますよ。「ちょっと理不尽な経験」をしたのは、彼女だけではないです。
参加者 (木曜日, 16 10月 2014 00:17)
例えば家族や親戚のような極近しい間柄であっても、到着が何時になるか判らないとき、待たされる側はイライラします。仕度して待っていたのに来なかったとなれば呆れてものも言えません。これは極自然な感覚。私達は、文字通り「お邪魔」していることを忘れず、関わる全ての方々に最大限の尊意を持つべきです。村へ通う前に、普段の生活でこのような当たり前のことがきちんとできているか、疎かになっていないかを振り返る必要がありますね(^^) 自戒の念も込めて…。